プロ野球選手の年俸

新庄剛元選手の過去の年俸推移まとめ!新庄選手の野球選手になるまで

阪神、メジャーリーグ球団メッツ、日本ハムファイターズで活躍した新庄剛志さんがプロ野球の現役復帰を目指すことを表明しました!

野球界にいた時から、普通のプロ野球選手とは一線画すまさに真のスター選手と呼べるパフォーマンスと多くの実績を残してきた選手だからこそ現在大きな話題となっています。

「みんな夢はあるかい?1%の可能性があれば必ずできる!今日からトレーニングを始めてもう一回プロ野球選手になろうと思います!みんなも何か挑戦しようぜ!」

という動画をアップし、白い歯を輝かせながら夢を持つこと・挑戦することの大切さを伝えました!

今回、急な現役復帰に向けての表明を発表した新庄剛志さんの過去の成績と年俸など気になる情報をまとめてみました!

新庄剛志さんのプロ野球・MLB時代の年俸推移と総額

すべて推定年俸です。

  • 1989年 契約金3700万円
  • 1990年 年俸360万円
  • 1991年 年俸400万円
  • 1992年 年俸520万円
  • 1993年 年俸2200万円
  • 1994年 年俸4300万円
  • 1995年 年俸5500万円
  • 1996年 年俸4900万円
  • 1997年 年俸5700万円
  • 1998年 年俸7300万円
  • 1999年 年俸6200万円
  • 2000年 年俸7800万円
  • 2001年 5500万円 MLB時代(契約金約3300万円+年俸2200万円)+出来高払い5500万円を結んでいる
  • 2002年 1億3500万円 MLB時代
  • 2003年 年俸6000万円 MLB時代
  • 2004年 年俸8000万円 契約金4000万円
  • 2005年 年俸8000万円+出来高払い5000万円
  • 2006年 2億2000万円 引退

野球人生での総額年俸があくまで推定となりますが「12億6000万円」となっています。

しかし、新庄剛志さんは現役時代に稼いだお金は44億円とのちに発表しており、野球とは別で多くのお金を稼いだようです。

新庄さんはたびたび「野球はバイト」といった発言もしており、様々な方法で現役時代にお金を稼ぎまくったんだそうです。

2019年現役復帰を目指す新庄剛志さんのプロ野球経歴Wiki


新庄さんは1972年1月28日生まれの現在47歳です。

生まれは対馬市で福岡県福岡市南区で育ちます。小さな頃から大人もびっくりするほどの負けず嫌いで、新庄さんが自分で少年野球チームを作りチーム名やユニフォームも自分で命名デザインした。

結成後1ヶ月余りで福岡県大会ベスト3に入賞。

そのご父のススメもあり西日本短期大学附属高等学校へ一般性として進学し、高校3年時にはサヨナラ安打を記録、さらには決勝戦では福岡大大濠高校戦では生涯初めてのサイクル安打を達成するも負け、甲子園出場は叶わず。

同じ歳のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースに5位指名を受けスカウントの評価も高校せながら「打力:B、走力:A、肩力:特選A」と高評価を得て入団。新庄選手をスカウトした人によると肩力:特選Aにした選手は新庄さんのみだそうです。

プロに行けなかった場合は九州産業大学に進学が決まっていた。

阪神時代

阪神時代は契約金3700万円年俸360万円(金額は推定)からスタートし、背番号は63番。

1年目は二軍で過ごし2年目の後半まで二軍で過ごすが、2年目の9月9日に初の一軍昇格し翌日の10日の巨人戦に九回表代打としてプロ初出場し初打席初安打初打点を記録。16日には広島戦で7番遊撃手としてプロで初めての先発出場をしました。

1992年には阪神のリーグ優勝争いに貢献するも結果はリーグ2位に終わるがプロ初サヨナラホームランなどチームに大きく貢献している。

この時のエピソードは球団寮には1日段ボール一箱分のファンレターが届いていたそうです。

1993年には年俸が520万円から2200万円にアップし323%増の昇給率は当時の阪神では球団歴代最高だった。

1993年には23本塁打を記録、ベストナイン初受賞し、リーグ外野手最多の13捕殺を記録しゴールデングラブ賞も初獲得。

1994年には自身の後援会が発足。5月13日にはプロ初となる高津臣吾投手からサヨナラ満塁本塁打を記録しました。

阪神時代は様々なトラブルもあったりファンを驚かせるパフォーマンスも当時話題になりました。

引退宣言騒動

MLBへの移籍表明(結婚)

2000年8月に取得した初めてのFA権を11月9日に行使してFA宣言。この時には横浜やヤクルトなどとの交渉が報道され、さらには在籍していた阪神が人気選手の新庄選手を引き止めるために他球団よりも好条件を提示。5年契約総額12億円を提示していたそうです。

しかし、新庄選手は移籍を希望していたMLBのニューヨークメッツへの移籍を実現。契約金30万ドル(当時で日本円3300万円)、年俸20万ドル(当時の日本円で2200万円)プラス出来高払いの5500万円の3年契約だったそうです。

この歳、2019年に引退したイチロー選手もMLBへ移籍したとしで、共に日本人野手として始めてMLB球団に在籍することとなりました。

同年12月11日に契約締結後の移籍発表会見では「やっと自分にあった野球環境が見つかりました。その球団はニューヨークメッツです。」と宣言し、背番号は阪神時代につけていた背番号5に決まりました。

同年12月27日には現在は離婚しているタレント「大河内志保」さんと入籍を発表。

MLBメッツ時代

メッツ時代は「SHINJO」という名前でプレー。

4月3日メジャーリーグ初打席は初安打を記録。5日には先発出場。9日は初本塁打を記録。

メッツ時代はフェンス手前で振り向くことなくキャッチするポケットキャッチなども披露し、クラッチヒッターと評価を受け3番起用が多くなり、終盤は4番打者としても貢献した。

打撃では故障の影響もあり規定打席には到達できなかったが、満塁時には打率.583、打点17打点勝利打点は11という驚異的な数字を残し2002年には日本円で1億3500万円で自身初めての年俸1億円を超えた。

MLBジャイアンツ時代

2001年12月16日に2対1のトレードでサンフランシスコジャイアンツに移籍。背番号はそのまま5番。

1番打者で起用されるも打撃不調に苦しみ、打順降格し7番起用など打線の下位に降格した。

しかし、シーズン最終戦の1試合前に決めたワイルドカード獲得に貢献し自身初のポストシーズン出場、リーグ優勝を経験した。

そして、日本人で初めてワールドシリーズに出場、9番指名打者で出場し第2打席で初安打を放つ。

MLBメッツ復帰

2003年にはメッツへ復帰し年俸60万ドルの日本円約6000万円で契約。背番号は5。

ジャイアンツ退団後は複数のメジャーリーグ球団からオファーがあったが在籍経験を活かせるという理由でメッツを選んでいる。

オープン戦はナ・リーグ選手として最高打率.426を残すもシーズンでは最終的に現役引退の理由ともなった左打ち太腿故障の影響もあり出場試合は激減。

打撃成績も満足のいく数字が残せていない状況が続き、のちに「あのような成績でメジャーにいるのは恥ずかしかった」と語った。

その後はメッツとマイナー契約を結び、マイナー生活では様々なメジャーとの格差を体験するが昇格を夢見る若い選手などもありこれまでの野球人生で一番学べ楽しい時代であったと語っている。

その後MLBやNPBの複数球団より契約オファーをもらい、メジャー移籍は3年間と示唆していた通り翌年からNPBに復帰することが決まった。

日本ハム時代

移籍先は、当時北海道へ移転する「北海道日本ハムファイターズ」で決まり、契約金4000万円年俸8000万円+出来高払い5000万円の2年契約を結んだ。

最初にオファーをもらった球団に行くと決めており、それが日ハムだった。入団会見では「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」と目標を発表。

登録名は「SHINJO」背番号は1番で決まった。

日ハムではファンサービスの一環として本塁打時の談話にて独特の打法命名を始めたほか、翌年にかけて試合前のシートノックにマスクなどをかぶってうけるパフォーマンスを五回行い、パフォーマンスを行ったさいの試合結果は3勝1敗1引き分けという数字を残している。

日ハム時代は新庄劇場といったパフォーマンスを行うなどプロ野球選手では考えられないファンサービスで北海道を盛り上げた。

引退試合・セレモニー

9月27日、レギュラーシーズン最終戦となる札幌ドームでのソフトバンク戦にて、この日限定で背番号をプロで最初に背負った「63」に変更。これに伴い、元々同番である渡部龍一も1日限り「68」に変更した。チームがレギュラーシーズン1位通過を決めた試合後に引退セレモニーが行われた。場内を消灯して大型ビジョンに流された野球人生を振り返るVTRを、中堅の守備位置から帽子の上にグラブを被る姿(日本ハム時代の新庄の恒例となっていた姿である)で観た後、ユニフォーム・グラブ・リストバンド・タオルをその場に置き、涙を浮かべながらグラウンドを後にした。ユニフォームを脱いで現れたアンダーシャツの背中には「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしくいくばいっ!」とファンへ向けるメッセージがプリントされていた。スピーチは行わなかったが、去り際には大型ビジョンに「残りわずかな野球人生 明るく楽しく 白球を追い掛ける事を 今日この日 みんなに約束します」と署名付きの直筆メッセージが表示された。なお球団はこの時点では新庄の引退を認めておらず(慰留するため)、このセレモニーは球団ではなく自らがプロデュースしたものであり、先の引退表明を東京で行ったことに対する地元ファンへのけじめの意味合いも込められていた[177][178]。予定通り、翌28日に渡部と共にそれぞれ背番号を元に戻した。[179]

自身NPBでは初めてのリーグ優勝を決めたプレーオフ第2ステージ(対ソフトバンク・札幌ドーム)の全2試合通算で6打数2安打1打点(第1戦の勝利打点)を記録した[180][181]

自身初出場の日本シリーズで、日本一を達成して引退

日本シリーズ終了後の11月に開催予定の日米野球にファン投票最多得票で選出されるも、引退することを理由に出場辞退を表明し「日本シリーズで完全燃焼したい」と声明を出した[182]。シリーズで対戦した中日のアレックス・オチョアは、新庄がジャイアンツ時代に2002年のワールドシリーズで対戦したエンゼルスの選手としても出場しており、この両人はMLB/NPB両方のシリーズで選手として対戦した初めての例となった。このシリーズでチームは4勝1敗で44年ぶり2度目の日本一に輝き、個人5試合通算17打数6安打1打点を記録した[183]。10月26日の最終第5戦(札幌ドーム)8回裏、涙を流して入った現役最後の打席では、中里篤史からの全3球ストレート勝負にて空振り三振に倒れた。最終回の守備、二死からアレックスの左飛で日本一が決まると、捕球した森本稀哲マウンド方向へではなく打球を追ってきている中堅手・新庄の方へ向かい走り出し、両者は左中間で抱き合った[184]。そして両者はマウンド付近にできている歓喜の輪へ向かい歩き出すが、新庄は涙を流し、まともに歩くことができなかった。その後、選手・首脳陣・スタッフ達の方が外野へ向かい歩いていって左中間で抱擁し合い、胴上げが新庄→小笠原道大田中幸雄大社義規前オーナーの遺影を掲げた大社啓二オーナー→トレイ・ヒルマン監督の順に行われた[185]。日本ハム入団会見で掲げた2つの目標である「札幌ドーム満員」と「チームの日本一」を共に達成してユニフォームを脱いだ。

翌27日に札幌ドームのグラウンドで引退会見を行い、11月のアジアシリーズについても、気力と体力の限界を理由に出場辞退を表明した[186]。11月8日、10度目のゴールデングラブ賞を受賞。シーズンMVPを選定する記者投票では第5位となる点数を得た[187]。18日、札幌で行われた優勝パレードに私服姿で参加し、これがファイターズの新庄としての最後の姿となった[188]。シーズン中から引退撤回を求めるファンが署名活動を行い[177]、球団からも撤回要請を受けていた。しかし本人の意思は固く、球団側は手続き上、自由契約とすることを勧めるが、本人側の希望で任意引退となった。

引用:Wikipedia

新庄剛志さんの最高年収は13億円!?

新庄さんがFLASHのインタビューで最高年収は13億円と驚きの数字を発表しています。

野球以外にも広告に使う写真で8000万円稼いだり、CM撮影で6時間拘束の約束で8000万円で契約、1分でも延長すれば契約金が倍になるという決め事で結果6時間2分を拘束され2分の延長で1億6000万円ものお金を稼いだ経験があるといっています。

確かに野球はバイトっていうのも納得ですw

新庄剛志さんの現役時代の打撃成績











O
P
S
1991 阪神 13 17 17 1 2 0 0 0 2 1 0 3 .118 .118 .118 .236
1992 95 378 353 39 98 16 3 11 153 46 5 73 .278 .320 .433 .753
1993 102 436 408 50 105 13 1 23 189 62 13 91 .257 .305 .463 .768
1994 122 506 466 54 117 23 7 17 205 68 7 93 .251 .304 .440 .744
1995 87 346 311 34 70 15 3 7 112 37 6 76 .225 .294 .360 .654
1996 113 473 408 55 97 16 4 19 178 66 2 106 .238 .335 .436 .771
1997 136 539 482 62 112 17 3 20 195 68 8 120 .232 .306 .405 .711
1998 132 451 414 39 92 21 3 6 137 27 1 65 .222 .275 .331 .606
1999 123 507 471 53 120 21 7 14 197 58 8 72 .255 .303 .418 .721
2000 131 549 511 71 142 23 1 28 251 85 15 93 .278 .321 .491 .812
2001 NYM 123 438 400 46 107 23 1 10 162 56 4 70 .268 .320 .405 .725
2002 SF 118 398 362 42 86 15 3 9 134 37 5 46 .238 .294 .370 .664
2003 NYM 62 124 114 10 22 3 0 1 28 7 0 12 .193 .238 .246 .483
2004 日本ハム 123 544 504 88 150 28 3 24 256 79 1 58 .298 .327 .508 .835
2005 108 406 380 54 91 20 1 20 173 57 5 64 .239 .274 .455 .729
2006 126 477 438 47 113 21 0 16 182 62 2 76 .258 .298 .416 .714
NPB:13年 1411 5629 5163 647 1309 234 36 205 2230 716 73 990 .254 .305 .432 .737
MLB:3年 303 960 876 98 215 41 4 20 324 100 9 128 .245 .299 .370 .668
  • 各年度の太字はリーグ最高。

外野守備

左翼 (LF) 中堅 (CF) 右翼 (RF) 外野 (OF)









1992 阪神 65 127 8 1 1 .993 65 127 8 1 1 .993
1993 102 236 13 6 1 .976 102 236 13 6 1 .976
1994 120 289 4 1 0 .997 120 289 4 1 0 .997
1995 87 206 5 3 3 .986 87 206 5 3 3 .986
1996 111 248 6 4 1 .984 111 248 6 4 1 .984
1997 135 276 13 6 1 .980 135 276 13 6 1 .980
1998 124 268 12 4 5 .986 124 268 12 4 5 .986
1999 121 247 8 3 2 .988 121 247 8 3 2 .988
2000 129 251 8 3 3 .989 129 251 8 3 3 .989
2001 NYM 46 68 8 2 3 .974 53 123 3 0 0 1.000 39 65 1 1 0 .985 119 256 12 3 3 .989
2002 SF 1 1 0 0 0 1.000 108 275 10 6 3 .979 10 10 0 0 0 1.000 117 286 10 6 3 .980
2003 NYM 7 8 0 0 0 1.000 50 90 5 3 1 .969 1 0 0 0 0 —- 54 98 5 3 1 .972
2004 日本ハム 122 272 8 5 1 .982 122 272 8 5 1 .982
2005 106 212 3 2 0 .991 106 212 3 2 0 .991
2006 126 271 4 3 0 .989 126 271 4 3 0 .989
NPB:12年 1348 2903 92 41 18 .986 1348 2903 92 41 18 .986
MLB:3年 54 77 8 2 3 .977 211 488 18 9 4 .983 50 75 1 1 0 .987 290 640 27 12 7 .982
  • 各年度の太字はリーグ該当守備位置としての最高。
  • NPBにおいてはリーグ外野の各守備位置としての最高は公表されていない。したがってNPB在籍時における各年度のリーグ中堅手最高は、外野手として最高のもののみが太字

現役時代の獲得タイトルと表彰

引用:wikipedia

新庄剛志さんがNPB現役復帰を目指すことを表明!過去の成績・年俸はまとめ

数々の予想もしないパフォーマンスや実績で日本プロ野球・MLBに貢献してきた新庄剛志さんが現役復帰を目指し頑張るということで多くの人が驚きました。

しかし、その発表に多くの人が

「新庄だったら本当にプロ野球現役復帰まじでしそう!!」

「新庄はスターで魅力があり好きだが無理だと思う。あのイチローでさえ年には勝てなかったから。」

「新庄選手!!いいですね!!最高に素敵な年を重ねてきたからこその夢ですね。」

「記録よりも記憶に残る男新庄!ぜひ頑張って欲しい」

様々なコメントがありますが、夢を追いかける姿を多くの人に見せることで大切なものを伝えていく姿本当にかっこいいです!!

応援したいですね!